ネガティブ・ケイパビリティとは「どうにも対処しようのない事態に耐える能力」と説明されています。さらに「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」とも書かれています。

私が最近読んだ本で、印象に残ったものです。
『ネガティブ・ケイパビリティ』 (帚木蓬生著・朝日新聞出版)

この説明をもう少しわかり易いところを引用すると、
「目の前の事象に、拙速に理解の帳尻合わせをせず、宙ぶらりんの解決できない状況を、不思議だと思う気持ちを忘れずに、持ちこたえていく力」とも書かれていました。

私はこれを読んだとき、なんだか落ち着かない気持ちになりました。

この時代、何でも時短が好まれますよね。
ファスト・ムービーをアップして逮捕された人がいましたが、長い映画に耐えられない多くの人がいたから、そういうものができたのだと思います。
Youtubeの授業も、倍速で見るのが普通だそうです。

つまらないものは早く終わらせたい、肝心なところだけ知りたい、さっさと終わらせて他のものも大量に見たい、不安なモノはスルーしたい、とっとと決着を付けたい、できるだけラクしたい・・・という欲望に忠実であるとも言えます。

正直なところ、私もせっかちなので録画したDVDなどは、CMを飛ばしながら1.3倍速で見ています。
広告収入のために無駄に長くて引っ張るものもありますし、正面からどっぷり付き合っていたら時間はいくらあっても足りません。

ですから私にもその傾向は多少あるでしょうし、全く関係のない他人事だとは思っていません。

ただ自分も含め、これだけではいけないだろうな・・・という危惧が、どうしても消せないのです。

それは、「ネガティブ・ケイパビリティ」が損なわれること。

人は、わからないことや不安なことがあると、早々に解決したいですよね。
だから、今までの経験や他人の知見などで「この事象はこうである」と結論づけて、さっさと収まりを付けたい。

問題が起きると、「原因はこれ」に違いないから、こうしようと動き始める。
これ自体は悪いことではないし、生きていく上での力といって間違いないでしょう。

だから問題解決力やロジカル・シンキング、フレームワークなど、考える助けになるものも多く考案されていますし、それが効いて発展してきたもので私達の生活が支えられていることもあります。

ただ、生きていれば、簡単に答えが出ないことは沢山あります

しかも、出たとしてもその答えがベストではないかもしれないし、他の正解も沢山あることもあります。 その時は答えが出ずに将来まで待つことで、やっとわかることもあります。

だからこそ、「答えを早急に出すことを我慢して、時間がかかっても他のやり方を出すことも諦めずにいること」は大事なのではないかと思うのです。

それこそ、「拙速に理解の帳尻合わせをせず、宙ぶらりんの解決できない状況を持ちこたえていく力」=ネガティブ・ケイパビリティではないでしょうか。

著者の帚木先生は著述家で、精神科医でもあります。

医者であったって人間ですから、どうしようもないことはつらいし、逃げ出したい。しかし、人の悩みを聞きながら、解決策が見つからず、どうしてあげようもない状態に耐えられたのは、このネガティブ・ケイパビリティという言葉を知ったからだと書いておられます。

本当は、はやく解決してお互いラクになりたいですよね。

だけどどうしてあげようもない、自分が役に立たないことがあっても、そばにいてあげるだけ、一緒に悩んであげるだけで救われることもあります。

帚木先生は、解決できないからと自分は逃げて、相手から距離をおくのでなく、その状態に耐えることで、医師として患者さんに尽くしてこられました。

その時に支えてくれた言葉が、ネガティブ・ケイパビリティであり、そのおかげで逃げずにその場に居続けられたのです。

コーチングでは、そんなシリアスな場面はありませんが、クライアントが安易な解を求めたり、HOW TO本に逃げることで問題を解決した気になるようなときには、そっと袖を引っ張らなければ行けない時もあると思いました。

映画や本のストーリーだけ知りたい、最後のトリックだけわかれば良いという、途中をショートカットしたような時間の使い方は、必要な場面もあるかもしれませんが、一事が万事それではいけません。

簡単に得られるものは、簡単に失います。
自分のモノにはなっていないです。

そして、心も通過していないと思います。
先日、娘が「ページをめくるのが惜しい本だった」と勧めてくれたものがありました。
そんな心が揺さぶられる本は、読み飛ばしたり、最後だけ見ても本当の味はわからないでしょう。

ネガティブ・ケイパビリティという言葉を知り、
私は、問題を持ち続ける勇気を持てるような、問題を避けないで居られるようなコーチングをして、クライアントの傍らにそっと立つコーチでありたいと思いました。

(以上、2022年9月24日のメールマガジンに書いたものです)